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『日本美術の歴史 補訂版』を読む記録(1)

第一章を2ページだけ読み進めました。そもそも縄文って何?ってことについて。

記録:関谷武裕
読んでる本『日本美術の歴史 補訂版/辻惟雄』(東京大学出版会)

2024年1月31日

『日本美術の歴史 補訂版』を読む記録(1)

『日本美術の歴史 補訂版』の第一章「縄文美術 原始の想像力」を読みはじめました。
順を追って記録してます。SHURO編集部の関谷です。

①美術としての縄文土器
まえがきで整理されたように「美術」とは西洋から輸入された概念であることが英語の「fine art」以外のフランス語「beaux-arts」、ドイツ語「Schöne Künste」でも再確認されて、「美しい・純粋なアート」を意味する言葉を日本語に翻訳されたことが示されます。

じゃあアートとは何か?をコンサイス・オクスフォード・ディクショナリ(C・O・D、1990年版)のartの項を引いています。
創造的な技と想像力の表現ないしは適用――特に絵画や彫刻のように視覚的な媒体を通じて、この方法でつくられた作品。

このやり方は僕も度々先人から示されて学んでいるので、語源を探ったり色々な辞書で意味を確認することは常に行っています。artについてなんかは様々な辞書などで何度確認したことか…。この辞書で書かれていくことに対して下記のような辻さんなりの見解が付け加えられます。
アートは制作者の意識や意図を超えて存在し、のちの人びとの眼によって「発見」され「再生」されるものである。縄文土器はそのよい例にほかならない。

アートとは「もの」をつくる行為であり、結果として生まれた作品であることに加え、鑑賞者の観察と思考や行為という「もの」とのコミュニケーションによって常に生まれ直され続けているということでしょうか。「漫画」においても全く同じことが言えそうです。ここで考えさせられるのはアートは制作者や作品だけでなく、時代を超えて鑑賞する者の「眼」によっても生まれていくのだということ。次の項に進みます。

②縄文美術の「発見」
縄文土器の荒々しい、不協和な形態、文様に心構えなしにふれると、誰でもがドキッとする。
――『四次元との対話――沖縄縄文論』岡本太郎、「みずゑ」五五八号(1952年2月)より

駄洒落含みで読者を油断させつつ端的に言語化して新概念をスッとインストールさせてくるのがちょっとスムーズすぎて、逆に抵抗したくなるくらいの岡本太郎の言葉でスタートしました。でもこの抵抗したくなるくらいの言葉が啓蒙なのかもしれませんね。僕はちょっと待って、一回自分の眼で確認しときたいんですけどいいですか?みたいにイチイチ時間かかるタイプです。とにかくそこまで設計された鋭い言語で話してきていると思うので、それだけでも岡本太郎という人間の器を勝手に感じちゃいます。

辻さん曰く、70年以上前に岡本太郎によって縄文土器の”超日本的相貌”が示されて以降にも、多くの縄文時代の作品が発掘されていて、縄文文化のイメージは大幅に改められているとのこと。そもそも縄文文化ではなく縄文文明だと主張する文化人類学者もいるそうで。文明という言葉が用いられるとまた印象がかなり違いますね。

その問題は横に置きつつ、縄文土器が日本美術の最初を飾る重要な遺産であることを強調されますが、ヨーロッパには古代ギリシャ・ローマの古典期(紀元前8世紀から紀元2世紀くらい? 特に古代ギリシャが縄文時代と重なる時期なのかな?)の出土美術を扱う美術考古学の伝統があるけど、日本にはないということを憂いています。考古学の対象であった縄文土器を美術史に組み込むという試みは遅れているとのこと。

たしかに、たしかに〜? 僕が1990年代に不真面目に受けていた義務教育課程で知った縄文土器の美術的側面なんて、縄文文様であることとか、火焔型土器とか「ドラえもん のび太の日本誕生」に登場する土偶のフォルムとビジュアルの特徴止まりで、そこからさらに詳細な部分に踏み込んだりしなかったし、そもそも縄文時代というのが何年前の時期を指しているのかすら実は僕よくわかってないのです。恥ずかしい。しかもこの30年くらいでも縄文文化のイメージってさらに更新されてたりする?

③縄文文化とは
なんと驚き!縄文(縄紋)というのも翻訳された言葉だった〜!

明治10年(1877)にアメリカの動物学者で東京大学に生物学の教師として招かれていたE・S・モースが大森貝塚を発見して、その調査報告書の中で「Cordmarked Pottery」という用語が初めて使われたとのこと。これが縄文土器と訳された!!!!!!!!
知らなかった〜、知らなかったことが知れてめっちゃ嬉しい〜。

縄文土器は弥生土器に先行する日本で一番古い土器であるとのこと。これ当たり前すぎるけど、最初の土器っていうのはドキッとしますね。そっかー、最初の土器なのか〜、最初っからめちゃくちゃ変なデザインのもの多いイメージがあるな〜。

このCordmarkedな土器を用いた文化を縄文文化・縄文時代と書かれていて、土器めっちゃ重要、土器すごい、となりました。土器は時を超えて現代に確認されてる数少ない歴史の痕跡ですもんね、土器。土器もすごいけど、そもそも素材になって結果的に保管庫にもなってる「土」がやばいよね、でも土がやばいって話にいっちゃうと話どっかいっちゃうから戻ると、人間が作り続けてる器文化の歴史の深さよ…そもそも「器」ってなんなのよってことも考える余地がめちゃくちゃあって面白そうなんだけど、それも一旦置いておこう。

ここからさらに、縄文時代がいつのことを指すのかよくわかってない僕のような人のために、どの時代を指すのか書かれていくんだけど…
と、今日はここまで。本2ページ分しか読めてない。「③縄文文化とは」の項目の20%くらいの文量しか読めてないけど、時間も集中力もなくなってしまったから仕方がない。無理しない。

――――――――――――――――

あとはちょっと近況書きます。
昨日の夜は会社から歩いていける距離にあるギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)でやってる大原大次郎さんの展示「HAND BOOK」を見に行ってきました。

大原さんは僕が前にいたリイド社という出版社で立ち上げた「トーチweb」というweb漫画サイトの一番最初のロゴを含むグラフィックデザインをお願いして作ってもらったことがあります。ゼロ年代後半(もう15年前とか…)以降に見ていた大原さんの手作りZINEとかに影響を受けたりして、僕もプライベートで友達とリソグラフでZINEを作ってそれを見てもらったこともあったり?みたいな超個人的な20代の時間があって、自分の仕事を立ち上げる時にはやっぱカッコいいパイセンの大原さんにグラフィックをお願いしたいという熱い気持ちだけのオファーを快諾してくれたという…あの頃は知識も経験も技術も何もなくて、何もかもが手探りで言葉足らずだけど、情熱だけで駆動していたようなピヨピヨまっさらなトーチに最初に形を作ってくれたのは大原さんでした。その3年後には「トーチweb」でやっていくことがハッキリしてきて、最初に僕が考えていたサイトの「器」では窮屈になってしまって今の内容に変更する際にデザインも変わったんだけど、それも最初に大原さんが形を作ってくれたからできたんだと思っています。

で、そんな大原さんのgggでの展示は今日1/31までだけど、昨日ちょっと見てその圧倒的な量を前に脳の情報処理が追いつかなくなちゃってゆっくり見るのは諦めちゃったんでこの後また見に行きます。特に地下の展示スペースのグラフィックが定まるまでの痕跡がすごすぎて。古代の人間の痕跡が残された洞窟とか遺跡に放り込まれたような感じというか…大原さんの手が数十年スパンで運動し続けてることの異様さと、それぞれのアートワークのfinishの気持ちよさを見させてもらって最高に贅沢なものを見させてもらった気持ちになりました。

大原さんはその場でひとりひとりに名入れを3分くらいでされていて、僕も書いてもらいつつ久しぶりに話せたんだけど、僕がいまマガジンハウスにいることや「SHURO」も見てくれていて嬉しかったな〜。書いてもらったやつ貼っときます。

僕のあだ名はダブ丸(dubmaru)っていうんですが、dubがメガネかけてる僕の顔みたいに見えるような、ダブ丸の字の全体のシルエットもどことなく外見やmoodを瞬時に察知して文字グラフィック化されているような。達人芸です。

(関係のないどうでもいい追記)
ダブ丸は地方のマイルドヤンキーだった中学生のころに友達からつけられた名で、ダブは肌が綺麗という理由から洗顔料のDove(当時「ダヴなら〜埴輪が有田焼になれたって感じ」みたいなCMが流れていた)に丸いということが組み合わされてつけられたもの。高校一年で留年し(ダブっ)てることもあって、mixi以降のSNSネームにも使い続けてて、妻や義父母からもその名前で呼ばれてます。
展示見たあとに、気になってた「そば軽食 泰明庵」という蕎麦屋に行ったんだけどここがまた最高で。おすすめです。
それと今「ブラッシュアップライフ」見てるんだけど、めっちゃ面白いですね。脚本すごくない?

『日本美術の歴史 補訂版』を読む記録(1)

2024年1月31日

記録:関谷武裕
読んでる本『日本美術の歴史 補訂版/辻惟雄』(東京大学出版会)


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